シャネル(Chanel)が、2026年4月28日にフランス南西部ビアリッツでクルーズ 2026/27 コレクションを発表することを明らかにした。ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)がブランド初のクチュールハウスを構えたゆかりの地として知られ、メゾンにとって象徴的な意味をもつ都市である。
今回の発表に際し、シャネル ファッション部門プレジデントの ブルーノ・パヴロフスキー(Bruno Pavlovsky) は次のように述べている。
「ビアリッツはシャネルの歴史において、極めて重要な役割を果たしてきた場所です。メゾンにとって特別なこの地を、マチュー・ブレイジーが自身初となるクルーズコレクションの舞台として選んでくれたことを、大変嬉しく思います。」
このコメントが示すとおり、クリエイティブ・ディレクターのマチュー・ブレイジー(Matthieu Blazy)にとって初のクルーズコレクションは、シャネルのルーツと深くつながる場所での披露となる。
第一次世界大戦下での避難先から、メゾンを押し上げた成長拠点へ
第一次世界大戦がヨーロッパを覆っていた1910年代、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)は恋人アーサー “ボーイ”・カペル(Arthur “Boy” Capel)とともにビアリッツを訪れ、この街の軽やかな空気に魅了されたと言われている。皇后ウジェニーゆかりの地として知られたビアリッツは、当時から富裕層や国際的なバカンス客が集まる華やかなリゾート地で、その洗練された社交文化は新しい顧客層を求めていた若きデザイナーに大きな可能性を感じさせた。
1915年、シャネルはグランド・プラージュに続く丘の斜面に位置する19世紀の邸宅「ヴィラ・ド・ララルド(Villa de Larralde)」に、ブティック兼アトリエを構える。この拠点では数百名規模のスタッフが働き、ここで得た成功が、のちにパリ・カンボン通り31番地に本格的なオートクチュールハウスを開業するための資金源となったとされる。
すでにパリで帽子店を成功させ、ドーヴィルではジャージー素材を用いたスポーツウェアを通じて女性の新しい生き方を提示していたシャネルにとって、ビアリッツはその革新性をさらに後押しする「追い風」のような存在であった。
“リゾートコレクション”誕生を支えた街、ビアリッツ
1910年代後半のビアリッツは、昼はスポーツ、夜は社交、そんな二面性を持つ特殊なリズムを生きる女性たちに溢れていた。活動的な日中とエレガントな夜を無理なく行き来できるワードローブが求められるなか、1919年のシャネルは、この街で夏を過ごす女性たちのために特別なラインを発表する。軽やかなジャージードレスや構造をそぎ落としたセットアップなど、季節の狭間にこそ必要とされる服を提示したこの試みは、今日の“クルーズコレクション”の原点とみなされている。
ビアリッツの自由でスポーティな気風は、シャネルの美学を決定づけた要素として、メゾン自身も現在のフレグランス「パリ–ビアリッツ(PARIS–BIARRITZ)」のストーリーにそのエッセンスを刻んでいる。海風のように軽やかで、どこか奔放なこの街の空気が、シャネルの服に流れる“動き”と“解放感”を形づくったことは疑いようがない。
ビアリッツは、単なる歴史的背景に留まらず、クチュールメゾンとしての飛躍、リゾートコレクションの誕生、そして現代の物語へとつながる、シャネルの時間軸を貫く重要なピースなのだ。
主要メゾンが米国へ向かう一方で
シャネルは先週、ニューヨーク・マンハッタンの退役した地下鉄駅を舞台にメティエダールショーを開催し、その演出が高い評価を得た。
それに続くように、ラグジュアリーブランド各社は売上回復を目指し、アメリカ市場への投資を強めている。2026年にディオール(Dior)はロサンゼルスで、グッチ(Gucci)とルイ ヴィトン(Louis Vuitton)はニューヨークでクルーズショーを開催予定だ。
しかし、その潮流に逆らうように、シャネルはクルーズで、“ルーツ”であるフランスに回帰した。居場所としてのビアリッツを選んだことは、メゾンの歴史を未来へと再接続する力強いメッセージにも見える。
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