伝説のデザイナーパコ ラバンヌ(Paco Rabanne)88歳でこの世を去る

Paco Rabanne

2月3日(現地時間)、ファッションデザイナーのパコ ラバンヌ(Paco Rabanne)が仏北西部ブルターニュ地方でこの世を去ったことを、彼の名前を冠したブランドを傘下に持つプーチ(Puig)は伝えた。88歳だった。

ブランドはインスタグラム公式アカウントで、「本日88 歳で亡くなった先見の明を持つデザイナーであり創設者であったパコ ラバンヌ氏に敬意を表します。」と声明を出した。

パコ ラバンヌが歩んできたデザイナーとしてのキャリアは、これまでに類をみない異例なものであった。ラバンヌはサン ローランやクリスチャン ディオールのような王国は気づけなかったものの、プラスチックやアルミのような従来は使われない特殊な素材を使用して服作りをし、オートクチュール業界をあっと言わせてきた人物だ。

またファッションだけではなく、フレグランス業界でもその名を轟かせてきた1人である。

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ラバンヌ 1996年 パリのアトリエにてImage: Eric Robert/Sygma/Getty Images

ラバンヌは1934年、スペイン北部バスク地方に生まれる。当時起きていた内戦でゲルニカへの空爆を経験し、5才の時にスペインを離れフランスへ亡命。

17歳になるとパリへ渡り、パリ国立高等美術学校で建築を学び始めた。在学中にラバンヌは、幾何学的で硬質な素材に美しさを見出したことがきっかけで、後に有機的な柔らかい素材と幾何学的で硬質な素材を融合させた、「ラバンヌ独自のクリエイション」を生み出す事になる。

大学を卒業後は、バレンシアガ、クリスチャン ディオール、ジバンシィ、シャネルなどのメゾンに自身が手がけたアクセサリーを売ってその日の生活費を稼いだ。

1966年、自身のブランド「パコ ラバンヌ」を設立。オートクチュールデビューを果たす。「マニフェスト」と名づけられた最初のコレクションは「現代的な素材を使った12の着られないドレス」と題され、これまで服作りに使われてこなかったプラスチック、金属、紙などの斬新な素材を使用。また、服作りの工程は「縫う」ではなく、異素材をペンチで繋いだり、接着剤でくっつけたりして仕上げた。こういった「ラバンヌ手法」は、業界内に大きな反響を呼び、60年代のモード界に新風を吹き込んだ。

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Left Image: Keystone/Hulton Archive, via Getty Images, Right Image: Neal Boenzi /The New York Times

また1969年には、フレグランス「カランドレ」を発売。このフレグランスラインこそが、後にブランドの経済基盤を支える大きなプロダクトになっていった。

1973 年には「パコ ラバンヌ プール オム」を発売し、ブランドの大ヒット作であるメンズ フレグランス ポートフォリオへの道を切り開いた。1996年にはフレグランスと服飾の両部門でユニセックスのセカンドラインである「パコ」を発表する。

しかし、60年代に始まったほとんどの文化革命と共に、1980年までにブランドは勢いを失い、脚光を新世代のデザイナーに明け渡すことを余儀なくされていく。1999年、ラバンヌは秋冬パリオートクチュールコレクションをもってオートクチュール部門の活動を停止することを発表した。

その後、ブランドはフレグランスビジネスをメインとし存続し、その間もブランドは絶えず再生への道を模索。2011年にデザイナーのマニッシュ・アローラを起用し、休止していた服飾ラインを再開させた。

2013年からはフランス人デザイナーのジュリアン・ドッセーナをクリエイティブ・ディレクターに起用。現在もドッセーナの手によって、世界に再度パコ ラバンヌの世界を響かせている。

ラバンヌの死去を受け、ファッション業界からは追悼の意が続々と捧げられている。

デザイナーのジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)は、「ファッション業界は、世界とビジョンをゼロから作り上げることができる過激な作家を失い続けています。 パコ・ラバンヌと共に。私たちは真の未来派であり、常に前を向いて未来を見つめていた実験者を失いました。」とその悲しみを吐露した。

デザイナーのヴァレンティノ ガラヴァーニ(Valentino Garavani)は「彼はすべてを変え、70年代後半に私たちを驚かせました。驚きは常にファッションに良いものをもたらしてくれます。」と、ラバンヌが築いたその功績を称えた。

フランスオートクチュール・プレタポルテ連合会の会長であるブルーノ・パブロフスキー(Bruno Pavlovsky)は、パコ・ラバンヌは、伝統的なノウハウと大胆さと奇抜さを備え、新しい技術の探求を決して止めなかったファッションデザイナーだったと伝え、「パリでの最初のショー以来、ファッションの新境地を開拓したクチュリエです。」と彼の死を惜しんだ。

 

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