11月1日(現地時間)、ベルギーのデザイナーであり、“アントワープ・シックス”の草分け的存在として知られるマリーナ・イー(Marina Yee)が、がんとの闘病の末にこの世を去った。享年67歳。
ベルギーファッションを世界に導いた“静かな反逆者”
1958年、アントワープに生まれたイーは、アントワープ王立芸術アカデミーで学び、やがてヨーロッパのファッションを変革することになる世代の一員となった。アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)、ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)、ヴォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)らと共に、知性と感性を融合させた表現で時代の常識に挑んだ。
1986年、ロンドンで開催された「ブリティッシュ・デザイナー・ショー」における“アントワープ・シックス”の登場は、ベルギーファッションを一躍国際舞台へ押し上げた出来事となる。そのなかでイーは、他のメンバーとは異なる“静かな急進性”を貫いた。彼女の信念は「美は再構築の中に宿る」というもの。使い古された服や捨てられた素材を再び編み直すことで、欠けたものの中に詩情を見出し、記憶と命を宿す衣服へと昇華させた。
1990年代初頭、イーは商業的ファッションの世界から距離を置き、舞台衣装、インテリア、アートなど、異なる創造領域へと活動の場を移した。しかしその根底にある哲学は変わらず、「思考し、触れ、感じること」を核とした創造性。
のちに彼女は教育者としても活躍し、ゲント王立芸術アカデミー(KASK)やハーグ王立芸術アカデミー(KABK)などで指導。学生たちは彼女を「デザイナーの姿をした哲学者」と呼び、ファッションとは何を“表すか”ではなく、何を“意味するか”を問い続けるよう導かれたという。
“M.Y.コレクション”での帰還
長い沈黙を破り、2016年に彼女は「M.Y.コレクション」を立ち上げ、再びファッションの世界へ。アップサイクルとクチュールの技術を融合し、持続可能性と詩的感性を体現したこのラインは、日本での発表を経て、2022年に正式な再ローンチを果たした。
その後、ドーバー ストリート マーケット・ニューヨーク/ロサンゼルス(Dover Street Market New York / Los Angeles)、エッセンス(Ssense)、SKP北京など、世界各地のセレクトショップで展開され、確かな支持を集めた。2024年にはベルギー・ファッション・アワード審査員特別賞を受賞し、その再評価は決定的なものとなった。
“穏やかな革命”の遺産
名声ではなく誠実さを軸に置くことを貫いたマリーナ・イーの人生。彼女にとって創造とは、思考と共感を伴う行為であり、ファッションとは人間らしさを取り戻すための手段であった。
アントワープのファッション美術館「MoMu(ModeMuseum)」は声明で、彼女を「ベルギーファッションにおける極めてオーセンティックな声であり、誠実で詩的、そして常に人と素材への敬意に導かれていました」と称賛。また、「ファッションは流行を超え、内省と思いやり、そしてつながりの手段となり得ることを教えてくれました」と追悼の言葉を寄せた。
アントワープのMoMuでは、2026年に「アントワープ・シックス」展が開催され、彼女の作品も中心的に展示される予定だ。それは懐古ではなく、いまなお現代に響くメッセージとして「サステナビリティとは、流行ではなく心の在り方なのだ」という、彼女が遺した静かな声を再び呼び起こすことになるだろう。
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