1月1日(現地時間)、イタリアのファッション界を象徴するデザイナーのロジータ・ミッソーニ(Rosita Missoni)が、93歳でこの世を去った。彼女が夫オッタヴィオ・ミッソーニ(Ottavio Missoni)とともに築き上げたブランド「ミッソーニ(MISSONI)」は、今日もなお、鮮やかな色彩と大胆なパターンで世界中のファッション愛好家を魅了し続けている。
幼少期からテキスタイルに囲まれて育ったロジータは、家族経営の工房でショールや刺繍生地に親しむ中で、素材への深い理解と情熱を育んだ。その後、ロンドンへの留学中に出会ったオッタヴィオとの運命的な出会いが、彼女の人生とキャリアを大きく動かすことになる。
ふたりがイタリア北部ロンバルディア州、ガッララーテに設立した小さなニット工房「マグリフィチョ・ジョリー(Maglificio Jolly)」は、やがて世界的なブランドへと成長していく。軽やかな素材感と独創的なジグザグ模様、異なるパターンを組み合わせた「プット・トゥギャザー(Put Together)」スタイルは、単なるファッションを超えた文化的なムーブメントを生み出した。その後、1967年のフィレンツェのピッティ宮殿でのファッションショーでは、モデルたちの衣装が透けて見えるという事件が話題となり、一躍注目を浴びることとなった。
ミッソーニのスタイルは「色彩の天才」として高く評価される一方で、ブランドの根底には家族愛と人間性が息づいていた。彼女は単なるクリエイターではなく、家族とともに生きる「ライフスタイル」の象徴であったのだ。晩年、ロジータはスミラーゴの自宅で自然と触れ合いながら、家族と過ごす時間を何よりも大切に過ごしたという。庭でのポルチーニ茸狩りや料理、孫たちとのひとときは、彼女にとって創造の延長線上にある幸せそのものだったようだ。
ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)は、彼女の訃報を受け、「ロジータのセンスとビジョンは、今も私たちにインスピレーションを与え続けています」と追悼の意を表し、ダイアン・フォン・ファステンバーグ(Diane von Furstenberg)もまた、「彼女とオッタヴィオは『メイド・イン・イタリー』の最高の象徴でした」とその功績を称えた。
ロジータ・ミッソーニが生涯を通じて紡ぎ出したのは、色彩と模様が織りなす物語であり、それは単なるブランドではなく、生きる喜びそのものだった。彼女のスピリットはこれからも家族とブランドを通じて輝き続けるだろう。
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