9月4日(現地時間)、ファッション界の巨匠であるデザイナーのジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)の訃報が伝えられ、ファッション界に深い悲しみが広がった。享年91歳。葬儀場は9月6日から7日まで午前9時から午後6時まで、ミラノのヴィア・ベルゴニョーネ59番地にあるアルマーニ/テアトロに設けられる。だが、本人の明確な遺志に従い、葬儀そのものは非公開で静かに執り行われることとなった。
20世紀から21世紀にかけて、アルマーニがファッション業界に刻んだ影響は計り知れない。彼のソフトなテーラリングは人々の装いを優雅に解き放ち、男女のスタイルに新たな自由を与えた。その視線はやがてインテリアやホスピタリティへと広がり、築き上げた軌跡は、ひとつのブランドを超え、世界にまたがるライフスタイル帝国へと結実した。その存在はまさに「キング・ジョルジオ」と呼ばれるにふさわしい威厳を帯びていた。
医師志望からファッションの道へ
だがアルマーニのファッション界でのキャリアは、思いがけない選択から始まっている。1934年、イタリア北部の小都市ピアチェンツァに生まれた彼は、当初医師を志していた。しかし、ミラノの百貨店で経験したウィンドウ・ドレッサーの仕事が、運命を大きく変えることとなり、そこで芽生えたファッションへの情熱が、彼をまったく新しい道へと導いたのだった。
1975年には、自身の名を冠したブランド「ジョルジオ アルマーニ(Giorgio Armani)」を創設。翌年にはウィメンズコレクションを発表し、メンズスーツの硬さを取り払うことで、女性の社会進出を後押しし、「パワースーツ」で世界的な注目を浴びた。
その後、ブランドはさらに広がりを見せ、「エンポリオ アルマーニ(Emporio Armani)」「アルマーニ エクスチェンジ(Armani Exchange/A|X)」「アルマーニ プリヴェ(Armani Privé)」といった派生ラインを次々と展開。1975年の出発点である「ジョルジオ アルマーニ」という本ラインを核に、世界規模のブランド帝国へと発展させていった。
グローバルに広がる「アルマーニ帝国」
アルマーニはライセンス事業にも先見性を発揮した。ロレアル(L’Oréal)と戦略的提携をし、フレグランスやコスメ事業を拡大させ、40種類以上の香水ラインを展開。さらに2000年には「アルマーニ カーザ(Armani/Casa)」を立ち上げ、家具やインテリアの分野に進出。2005年にはドバイのブルジュ・ハリファに「アルマーニ・ホテル」を開業し、2011年にはミラノにも同名ホテルを構えた。
スポーツ界との関わりも深く、EA7ラインを通じてオリンピック代表チームの公式ウェアを提供。自身が所有するバスケットボールチーム「オリンピア・ミラノ」を率いることでも知られる。サッカー界では、ユヴェントスやイタリア代表をはじめ、数多くのチームのユニフォームデザインを手がけた。

また、デザイナーとしての功績に加え、国際的な舞台でも数々の栄誉を手にしてきた。1979年のニーマン・マーカス・ファッション賞を皮切りに、イタリア共和国功労勲章やCFDA国際デザイナー賞、さらにはフランスのレジオン・ドヌール勲章などを受章。
その名声はファッション界にとどまらず、2019年にはWWDのジョン・B・フェアチャイルド名誉賞が授与され、功績が改めて称えられた。社会的活動にも力を注ぎ、国連難民高等弁務官事務所の親善大使を務めたほか、2003年には「ロデオドライブ・ウォーク・オブ・スタイル」で表彰されるなど、文化と社会の両面で足跡を残したのである。
さらに、アルマーニは「レッドカーペット・ファッション」を築いたデザイナーとしても知られ、俳優や音楽家たちの装いを通じて、華やかな舞台の裏に「イタリアのエレガンス」を刻み込んだ。ジュリア・ロバーツ(Julia Roberts)は「本当の友人。伝説」と語り、アン・ハサウェイ(Anne Hathaway)は「イタリア・ファッションの皇帝の一人」と称賛。シンディ・クロフォード(Cindy Crawford)は「クラフトの達人」と言葉を寄せた。
映画界からも惜しみない敬意が表された。映画監督マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)は「彼は単なる服飾デザイナーではない。真のアーティストであり、偉大なアーティストだ」とコメント。実際、スコセッシ監督作『カジノ(Casino)』(1995年)ではロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)の衣装を、また『ウルフ・オブ・ウォールストリート(The Wolf of Wall Street)』(2013年)ではレオナルド・ディカプリオ(Leonardo DiCaprio)のスーツを手がけている。
晩年もアルマーニの姿勢は変わらなかった。声明では「最後の瞬間まで不屈の精神で働き続け、多くの進行中および未来のプロジェクトに身を捧げていました」と記されている。死の直前までショーの演出を遠隔で監督し、「私の最大の弱点はすべてを自分でコントロールしてしまうことです」と語ったことは象徴的だ。

イタリア首相ジョルジャ・メローニ(Giorgia Meloni)は「彼のエレガンス、節度、創造性はイタリアのファッションに輝きをもたらし、世界を鼓舞した。アイコンであり、イタリアの最良の象徴です」と称えた。LVMH会長ベルナール・アルノー(Bernard Arnault)は「彼は影と光で構成された独自のスタイルを生み出し、世界的な規模にまで広げました」と述べている。
さらに、アルマーニと共にイタリアのラグジュアリーを象徴してきたフェラーリも「ジョルジオ・アルマーニの逝去に深い悲しみを覚えています。彼はイタリアのスタイルと創造性を体現する永遠のアイコンであり、そのビジョンはエレガンスを再定義し、世界中の世代にインスピレーションを与えました」と声明を発表した。
永遠の「キング・ジョルジオ」
アルマーニの死は、9月に予定されていたブランド創立50周年記念の祝典を前に訪れた。しかし、その歩みと遺した功績は、すでに半世紀を超えてファッションの歴史そのものを形づくっている。
「私が残したい印は、誠実さ、尊重、そして人々と現実への真の思いやり。それこそがすべての出発点だ」―ジョルジオ・アルマーニ
その言葉通り、彼の名はこれからも「キング・ジョルジオ」として、ファッションとイタリア文化の象徴であり続けるだろう。
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