AI時代にラグジュアリーは何を守るのか──『NRF 2026』でLVMHが語った未来

Oui Speak Fashion -NRF2026

世界最大級の小売業界カンファレンス「NRF リテールズ・ビッグ・ショー 2026(NRF Retail’s Big Show 2026)」が、1月11日(現地時間)、ニューヨークのジェイコブ・ジャヴィッツ・コンベンション・センターで開幕した。

初日から数多くのパネルやラウンドテーブルが並ぶ中、世界最大のラグジュアリー・グループ「モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH Moet Hennessy Louis Vuitton、以下LVMH)」は『クラフトとインテリジェンスの融合:LVMHがいかに現代の消費者に向けたラグジュアリーを再定義しているか』をテーマに登壇。

AIが産業全体の共通言語となりつつあるいま、ラグジュアリーはどこで線を引き、何を守り、どこまで踏み込むべきなのか。同セッションは、その問いに対する答えを、単なる施策ではなく“思想”として提示する場となった。

登壇者は、LVMH オムニチャネル&データ最高責任者のゴンザーグ・ド・ピレ(Gonzague de Pirey)、ルイ ヴィトン クライアント・デベロップメント&デジタル担当グローバル・シニア・バイス・プレジデントのスミア・ハジャリ(Soumia Hadjali)。モデレーターはPwCパートナーのアリ・ファーマン(Ali Furman)が務めた。

AIは「創造」を平坦化する。だからこそ慎重である

このセッションで色濃く表れていたのは、AIをめぐるラグジュアリー特有の緊張感だ。効率化、最適化、自動化が礼賛される潮流に対し、ラグジュアリーは本質的に「均質化」と相性が悪い。美学や職人性、ナラティブは、スケールの論理で押し潰されるからである。

ド・ピレは冒頭、「情熱を持ってAIに向き合う一方で、同じ熱量で慎重さを抱えている」と、LVMHの姿勢を端的に言語化した。

「クリエイティビティという問いは非常にデリケートなトピックです。もちろん大きな情熱を持って取り組んでいますが、同時に慎重さも忘れてはいません。AIにはクリエイティビティを『平坦化』してしまうリスクがあることを私たちは知っているからです。」

ここで重要なのは、LVMHがAIに“期待”しているのではなく、“制御”する対象として捉えていることだ。AIは万能ではない。むしろ危うい。だからこそ「テストと学習」を繰り返す。

「私たちは現実主義(プラグマティズム)も大切にしており、いくつかの大学や、ルイ ヴィトンのようなメゾンと共に、AIとクリエイティビティというテーマを受け入れ、テストと学習を繰り返しています。」

AIは創造のための時間を取り戻す

次にモデレーターのファーマンが言及したのは、ルイ ヴィトンの店舗に足を踏み入れた瞬間に立ち上がる、あの独特の「感覚」だった。迎え入れられる空気、一人ひとりのストーリーが尊重されていると感じさせる体験。その背後にはテクノロジーが存在するが、決して前面には出てこない。

「ルイ ヴィトンの店舗に入ると、ある『感覚』を覚えます。テクノロジーはそこにありますが、それは背景に隠れています。」

この体験を踏まえ、彼女は「ルイ ヴィトンは、どこに境界線を引きながらAIを活用し、創造性を高めているのか」と問いかけた。

それに対し、ハジャリは次のように述べる。

「ルイ ヴィトンにおける境界線は非常に明確です。AIがクリエイティビティに取って代わることは決してありません。AIはそれを『増幅』させるものです。」

AIの役割は、創造性を量産することではない。探索のスピードと深度を高め、人間が本来向き合うべき「核心」に時間を取り戻すことにある。

「素材を可視化したり、色をテストしたりすることで、探求やテスト、創造性、感情、クラフトマンシップ、そして製品の背後にあるナラティブ(物語)に時間を集中させることができるのです。」

この考え方は、デザインの現場にとどまらない。店舗に立つクライアント・アドバイザーに対しても、AIは「代替」ではなく「拡張」として位置づけられている。

「クライアント・アドバイザーに関しては、『オートメーション(自動化)』ではなく『オーグメンテーション(拡張)』です。画面を見る時間ではなく、顧客との関係構築に真に集中できるようにするのです」

AIが前に出るのではなく、人が顧客に向き合う時間を増やす。その思想は一貫している。ラグジュアリーの価値が「人間的なタッチ」に宿る以上、AIはそれを置き換える存在ではなく、強めるための装置でなければならない。

「私たちの業界、ラグジュアリー業界において、この『人間的なタッチ』こそが、実は価値なのです。」

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エージェンティック・コマースが生む親密さ

このセッションで、最も熱量を帯びた論点のひとつが「エージェンティック・コマース」であった。エージェンティック・コマースとは、AIが顧客の意図や文脈を理解し、購買や体験の提案を“自律的に”行う次世代のコマースモデルを指す。近年、小売業界で急速に注目を集めている一方で、多くの企業はいまだ試行錯誤の段階にある。

このテーマについて、モデレーターのファーマンは、LVMH、とりわけルイ ヴィトンのアプローチが際立っていると評した。彼女が注目したのは、エージェンティック・コマースが本来“取引的”になりがちな領域であるにもかかわらず、ルイ ヴィトンがそれを「親密さ(インティマシー)」を生む仕組みへと転換しようとしている点だ。

ハジャリは「ルイ ヴィトンは非常に豊かなユニバースを運営しています。高級な店舗ネットワークやウェブサイト、LVアプリに加え、カフェやレストラン、展示会といった体験も含まれます」と語る。

エージェンティック・コマースとは、顧客を起点に、このエコシステム全体を統合し、適切な瞬間に適切な提案を届けるための“オーケストレーション”である。

「私たちが指しているのは、そのエコシステム全体を『一人の顧客』を中心にオーケストレートすることです。顧客は一人ひとり異なります。何百万人もの顧客がいる以上、これはまさに『スケール』の問題なのです。」

さらにハジャリは、エージェンティック・コマースを「デジタル・コンシェルジュ」と位置づけ、その本質にあるのは親密さだと語る。

「エージェンティック・コマースは、私たちの業界が顧客と築いてきた特別な関係性の自然な延長線上にあります。点と点をつなぎ、断片的ではない、一貫したストーリーを持つ体験を創り出すこと。その鍵が『インティマシー(親密さ)』なのです。」

「例えば、結婚記念日に、単にワードローブを提案するのではなく、展示会の予約をしたり、レストランのテーブルを確保したりすることも考えられます。」

商品購入をゴールとせず、人生の節目に寄り添う体験を組み立てる。そのためにAIで“スケール”することが、ルイ ヴィトンの狙いだ。

「私たちにはクライアント・アドバイザーがいますが、彼らだけで全ての顧客に対応することはできません。だからこそ、AIによってスケールさせ、アドバイザーが本当に重要な顧客に集中できるようにするのです。」

守るべきは「グループ」ではなく「メゾンのDNA」

次にファーマンは、パイロットからスケールへ移る難しさについても掘り下げた。LVMHは多数のメゾンを抱える以上、この課題がより複雑になる。ここでド・ピレは「LVMHらしさ」という括りを避け、「メゾンごとの個性」こそが最重要だと強調した。

「私たちにとって、すべてのメゾンが独自の特異性(シンギュラリティ)や独自の文化を持ち続けることは極めて重要です。」

バックエンドでは共通化や共有があっても、表現方法、語彙、トーン・オブ・ボイスはメゾンのDNAとして維持されなければならない。

「それぞれのメゾンが、表現方法、語彙、トーン・オブ・ボイスなどにおいて独自の『DNAのタッチ』を維持することが非常に重要なのです。」

また、スケールの鍵は「戦略的優先事項」に合致させることだと語る。流行りの実験やギミックはスケールしない。ビジネスニーズに即したプロジェクトが成功する。

「私たちのAI戦略のすべてが、各メゾンの『戦略的優先事項』と合致していることを確認することです。『ギミック』のようなものを開発しようとすると、基本的にはスケールさせるのに失敗します。」

ガバナンスではなく、信頼としてのAI

さらに、こうしたAI活用をスケールさせていく上で避けて通れないのが、「どう実装するか」という問題だ。技術やスピード以上に、LVMHが重視しているのが、その前提となる“信頼”である。

ド・ピレが語る責任あるAIとは、規程やチェックリストを整えることではない。従業員が安心して使え、顧客が違和感なく受け入れられる土台を構築する行為そのものだという。

「結局のところ、AIを正しい方法で実装するためのインフラを完全に整えたのです。なぜそれを行うのか? それは『信頼』のためです。」

そして、信頼が必要なのはまず従業員であり、その先に顧客がいる。

「グループの全従業員がAIシステムを信頼し、受け入れられるようにするためです。それ以上に重要なのは、顧客が私たちのブランドをこれまで以上に信頼し続けられるようにすることです。」

この信頼を支えるのは、各メゾンの文化的特異性を守る設計である。ルイ ヴィトン、ロエベ(Loewe)、ティファニー(Tiffany&Co.)、セフォラ(Sephora)は、それぞれ顧客への語りかけ方が異なる。その違いをAIが壊してはならない。

「ルイ ヴィトンが顧客に語りかける方法は、ロエベが語りかける方法とは大きく異なりますし、ティファニーとも全く違います。セフォラもまた、それぞれの顧客に対して異なる接し方をしています。」

ルイ ヴィトンが「フォーカス」をKPIにした理由

AI活用が進むほど、選択肢は指数関数的に増えていく。だからこそ重要になるのは、「何をやらないか」を決めるための明確な判断軸だ。ルイ ヴィトンが「フォーカス」をKPIとして据えた背景には、この現実がある。

その判断を誤れば、AIは価値を生むどころか、組織を拡散させてしまうというその危険性を、ハジャリは率直な言葉で語った。

「私たちは皆、一度にすべてをやりすぎてしまいがちです。」

だからこそルイ ヴィトンでは、AI施策の優先順位を決めるために、常に三つの問いを自らに投げかけているという。

「1つ目は『機会はどれほど大きいか(Size of the Prize)』。2つ目は『本当に顧客体験を高めるものか(Elevating the experience)』。そして3つ目は『Right to win』、つまり私たちがそれを実現する正当性があるか、という問いです。」

この三つすべてに「イエス」と答えられるものだけが、前に進む。

ここで興味深いのが、彼女が語る「フォーカス」の定義だ。フォーカスとは、単にやることを減らすことではない。

「フォーカスするということは、『やることを減らす』ことではありません。本当に重要なことを『並外れてうまくやる』ことなのです。」

その考え方のもと、ルイ ヴィトンはAIイニシアチブを四つの領域に整理している。クリエイティビティの強化、データを活用した顧客獲得、顧客体験の向上、そしてオペレーショナル改善である。

ハジャリはこれを、「より良く想像し、より良く惹きつけ、より良く顧客に尽くし、より良く実行する」と要約した。

さらに彼女が強調したのが、「定着」をKPIとして明確に置くことだ。施策は作って終わりではない。実際に使われ、価値を生んでいるかどうかがすべてである。

「私たちは『アダプション(定着・活用)』を主要なKPIとして設定しています。もし完全に定着しないのであれば、そのイニシアチブを停止することもあります。」

AIを導入すること自体が目的なのではない。使われ、意味を持ち、ブランドと顧客の関係を深めること——それだけが、続ける理由になる。

スタートアップ連携は「広げる」から「伴走する」へ

現在AI領域において、多くの企業が「どこまでを自社で担い、どこからをパートナーに委ねるのか」という判断に直面している。ド・ピレは、この問いに対するLVMHの考え方を、オープンイノベーションの三つの軸として整理した。

「現在、私たちには三つの軸があります。1つ目は大学です。2つ目はGoogle、SAP、Salesforceといったハイパースケーラー。そして3つ目がスタートアップです。」

とりわけスタートアップとの向き合い方は、この数年で大きく変化したという。AIの取り組みを始めた当初は、可能性を求めて門戸を広く開いていたが、それが必ずしも成果につながらなかった。

「4年前にAIのジャーニーを始めたとき、私たちは少し門戸を広げすぎていました。しかし現在は、1つのメゾン、1つの市場、あるいは時には1つの店舗を選び、テストやパイロット運用を行うところから支援しています。」

まずは小さく試し、価値が確認できたものだけを次の段階へ進める。その後、ITシステムとの統合やサイバーセキュリティといった別の能力が求められる「第二ステップ」を経て、最終的にはグループ全体のエコシステムにネイティブに組み込む「第三ステップ」へと進む。

この三段階のプロセスを実装しているのが、パリのStation Fに設けられた「La Maison des Startups」だ。スタートアップを単なる外部ベンダーとして扱うのではなく、段階的に伴走しながら育てていく。このアプローチこそが、LVMHにおける現在のオープンイノベーションの姿である。

2年後の成功は、売上ではなく「デザイアラビリティ」

セッションの締めくくりとして問われたのは、2年後における「成功」の定義だった。ド・ピレはまず、従業員一人ひとりがAIを受け入れ、部門や国境を越えて働き方そのものが変わっている状態を挙げた。そのうえで、ラグジュアリーにとって最も重要な指標に言及する。

「ラグジュアリーにおいて最も重要なのは、『ブランドのデザイアラビリティ(憧れ・魅力)』です。AIによって、人々が私たちのブランドに対して抱く『欲しい』という感情をより強くできるのであれば、それこそが絶対的な成功の鍵になります。」

成功の尺度は、短期的な売上や効率ではない。ブランドに対する欲望や憧れが、より深く、持続的に育まれているかどうかだ。

さらにド・ピレは、LVMHが「才能にとって魅力的な場所」であり続けることも欠かせない条件だと語った。

「『LVMHで働きたい』『ルイ ヴィトンやグループのブランドで働きたい』と誰もが思うような場所であること。それが、私たちにとっての成功の姿です。」

“AIは効率を高めるための道具”という定型的な発想から一歩踏み出し、AIを人間性や親密さを守り、強めるための仕組みとして設計する。NRFの舞台でLVMHが提示したのは、テクノロジーがラグジュアリーを機械化するのではなく、ラグジュアリーを、より人間的なものへと進化させる未来だった。

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