クチュール界の巨匠、ヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)が93歳で逝去

Valentino Garavani

イタリアを代表するクチュリエ、ヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)が、ローマの自宅にて逝去した。享年93。世界のファッション史において、ひとつの時代を築いた存在の幕引きである。

訃報は1月19日(現地時間)、本人の公式インスタグラムおよび財団を通じて発表された。公式文では、「私たちの創設者、ヴァレンティノ・ガラヴァーニは本日、ローマの自宅にて、愛する人々に見守られながら逝去しました」と伝えられている。

遺体は、ローマのミニャネッリ広場23番地にあるPM23に安置され、水曜日および木曜日の午前11時から午後6時まで一般弔問が行われる予定だ。葬儀は金曜日午前11時より、ローマ・レプッブリカ広場に位置するサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・エ・デイ・マルティーリ大聖堂にて執り行われる。

イタリア・クチュールを確立

ヴァレンティノ・クレメンテ・ルドヴィコ・ガラヴァーニ(Valentino Clemente Ludovico Garavani)が築いてきた美意識は、イタリア・ファッションの在り方そのものを形づくってきた。

ガラヴァーニの歩みを振り返るときにまず特筆すべきことは、彼が最初の創作拠点として、当時のファッションの中心地であったパリではなく、ローマを選んだことだろう。この選択が、彼を単なる一流クチュリエではなく、「イタリア・クチュールの体系を築いた存在」へと押し上げた。

1932年5月11日、イタリア北部ヴォゲーラに生まれたガラヴァーニは、パリでエコール・デ・ボザールおよびシャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌに学び、ジャック・ファット(Jacques Fath)やバレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)のもとでクチュールの厳格な技法を身につけた。その後、ジャン・デッセ、ギ・ラロッシュ(Guy Laroche)のアトリエで経験を重ね、最終的にローマへと戻り、自身のメゾンを設立した。

1960年にはジャンカルロ・ジャンメッティ(Giancarlo Giammetti)と出会い、以降、長年にわたり恋愛とビジネスの両方でパートナーシップを築くことになる。ガラヴァーニとジャンメッティは、創作と経営を分離させる明確な体制を生み出すことで、ヴァレンティノを稀有な「クチュールとビジネスの両立者」へと育てていった。

その存在を国際的に決定づけたのが、1962年、フィレンツェで開催されたピッティ・イマージネでのオートクチュール・ショーであった。このヴァレンティノの発表は、パリ一極集中だったクチュールの地図を書き換え、ローマ、ひいてはイタリアを「もう一つの正統なクチュールの中心」として世界に認識させる契機となった。

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「ヴァレンティノ・レッド」という遺産

さらに、ガラヴァーニのシグネチャーカラーである鮮烈な赤——いわゆる「ヴァレンティノ・レッド」が、彼の名を不朽のものとした。

その名声を決定づけた瞬間のひとつとして、ジャクリーン・ケネディ・オナシス(Jacqueline Kennedy Onassis)による着用が挙げられる。夫ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領の悲劇的な死の後、彼女は1年間でヴァレンティノの作品を6点も纏った。さらに、アリストテレス・オナシスとの結婚式でも、ヴァレンティノのドレスを選んだ。

その後も、ジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)やニコール・キッドマン(Nicole Kidman)など、錚々たる女優やセレブリティたちが、レッドカーペットでヴァレンティノを身にまとい、その美しさを体現してきた。

ファッション界の重鎮としての地位は、ポップカルチャーにも刻まれている。2006年公開の映画『プラダを着た悪魔』では本人役で出演。また、キャリア最後の2年間を追ったドキュメンタリー『ヴァレンティノ 最後の皇帝』では、グウィネス・パルトロウ(Gwyneth Paltrow)、アン・ハサウェイ(Anne Hathaway)、エリザベス・ハーレイ(Elizabeth Hurley)、サラ・ジェシカ・パーカー(Sarah Jessica Parker)といったスターたちが登場し、彼の私生活と創作の舞台裏が詳細に記録された。

栄誉に満ちた晩年

その功績は、数々の公的評価としても刻まれている。2006年には、フランス大統領ジャック・シラク(Jacques Chirac)よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章を授与。2008年にはパリ市勲章、2011年にはニューヨークのファッション工科大学ミュージアムよりクチュール・カウンシル・アワード(Artistry of Fashion)を受賞。さらに2017年には、アメリカン・アカデミー・オブ・アチーブメントよりゴールデン・プレート賞(Golden Plate Award)も贈られている。いずれも、ヴァレンティノが国境を越えた文化的存在であったことを物語る。

晩年は、1982年から生涯のパートナーであったブルース・ホークスマとともに、表舞台から距離を保ちながら静かな日々を過ごしていた。

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継承される遺産

この訃報を受け、1999年からヴァレンティノで働き、2016年から2024年3月まで同ブランドの単独クリエイティブ・ディレクターを担ったピエールパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)は、割れたハートの絵文字で哀悼の意を表した。ブランドへの深い愛で知られる彼にとって、創設者の死は計り知れない喪失であろう。

なお、2024年4月より、ヴァレンティノのクリエイティブ・ディレクターはアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が務めている。グッチでの実績を経て就任したミケーレは、ガラヴァーニの伝統を受け継ぎながら、新たなクリエイティブ・ビジョンをもたらしている。

ヴァレンティノ・ガラヴァーニが生み出した美の遺産は、これからも時代を超え世界中の人々を魅了し続けるだろう。

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