イギリスのファッションデザイナー ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)が今月29日、ロンドンで死去した。81歳だった。
彼女は「ロンドン南部クラパムで、家族に囲まれながら安らかに息を引き取った」と、ブランドの公式インスタグラムにて発表された。
ブランドは「ヴィヴィアンは、最後の瞬間まで自分が好きなことをやり続け、デザインし、アートに取り組み、本を書き、世界をより良く変えました。彼女は素晴らしい人生を送りました。彼女の過去60年間のイノベーションと影響力は計り知れず、今後もそれは続いていくでしょう」とインスタグラム上での投稿を続けた。
また、これまでウエストウッドとクリエイションを共にしてきたパートナーであり、最愛の夫であるアンドレアス・クロンターラー氏は、「ヴィヴィアンと心の中でずっと一緒だ。最後の最後まで一緒に作業していて、これからやるべきことをたくさん託してくれた。愛しき人よ」とコメントした。
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ヴィヴィアン・ウエストウッドが築いた「パンク」ファッションとカルチャー
「パンクの女王」として知られ、パンクファッションのアイコンとしてモード界に君臨したヴィヴィアン・ウエストウッド。約60年間に渡り、彼女が生み出してきたカルチャーの影響力はとても偉大だ。
彼女のキャリアを遡ると、始まりは1970年代にロンドンのキングスロード430番地に、当時のパートナーであったバンド「セックス・ピストルズ」のマルコム・マクラーレンと共に始めたショップ「Worlds End」である。
このショップではボンデージギアから挑発的な言葉が書かれたデザインのTシャツまで、あらゆるものが販売されていた。いつしか「Worlds End」は、街で台頭しつつあったパンクロックシーンの中心的なハブとなっていった。
ミュージシャンのヴィヴ・アルベルティーン(Viv Albertine )は回顧録「Clothes, Clothes, Clothes. Music, Music, Music. Boys, Boys, Boys.」の中で当時の2人の様子ついて次の様に記している。「ヴィヴィアンとマルコムは洋服を使って人々に衝撃を与えたり、苛立たせたり、反応を引き起こしたりしただけでなく、世に変化を起こしていました。」
こうして彼らが作り出すエッジの効いたスタイルは、若者を中心に大きなムーブメントとなり、パンクファッションとパンクミュージックは互いに強い関係性で結びついていったのだ。
その後、この伝説的なショップ「Worlds End」は、時代の移り変わりと共に「Let it Rock」、「Too Fast to Live, Too Young to Die」、「Sex」、「Seditionaries」と名前を変え、現在もなおキングズロード430番地にパンクスタイルの聖地として店を構えている。
その後ウエストウッドがマクラーレンと共に「パイレーツ」と名付けられたコレクションでランウェイデビューを果たしたのが、1981年、彼女が40歳の時だ。
当時、海賊からインスピレーションを得た、開放的で、前衛的なルックは、オーディエンスから大きな反響を呼んだ。それ後もウエストウッドは、独自のアヴァンギャルドな世界観を次々と展開。襟をハートに見立てたアイコニックな代表作「ラブジャケット」や、イギリスの伝統的なツイード地をパンクに落とし込んだ「ハリスツイード」コレクションなどを発表し、デザイナーとしてのキャリアを確固たるものにしていった。
1992年に、ウエストウッドは25歳年下のオーストリア人デザイン学生アンドレアス・クロンターラーと出会い、結婚する。彼らは2016年にクロンターラーが彼女のプレタポルテラインを引き継ぐまで、共同デザイナーとして一緒に働いていた。現在クロンターラーはアンドレアス・クロンターラー フォー ヴィヴィアン・ウエストウッド(ANDREAS KRONTHALER FOR VIVIENNE WESTWOOD )のクリエイティブ・ディレクションを担当しているが、長年公私ともにパートナーとしてウエストウッドを支えていた。
また、ウエストウッドはファッションへの貢献が認められ、1992年に大英帝国勲章を受章し、2006年には英王室から「デイム」の称号を授与している。
彼女は、さまざまな社会問題に対する情熱的なアクティビストでもあった。2015年には、イギリス政府の水圧破砕法によるシェールガス開発に異議を唱えるため、保守党のデイヴィッド・キャメロン首相の自宅前に白い戦車を停めて抗議をした。
その後2019年には、ロンドンファッションウィーク中に、イギリスの環境保護活動グループを率いて、パプア熱帯雨林の環境破壊に対するエネルギー関連事業会社の責任を求める抗議活動を先導した。
その他にも個人の自由尊重、核兵器廃止、気候変動対策を推進を唱えたり、エイズ研究を支援し、動物の権利保護団体PETAや貧困に取り組む慈善団体OXFAMを支えた。
木曜日の夜は、世界中からヴィヴィアン・ウエストウッドへ追悼の声が殺到し始めた。
モデルのベラ・ハディッドは、ウエストウッド本人と一緒に撮った写真をインスタグラムに投稿し、「あなたの軌道に乗れたことを永遠に感謝します。私にとって、そしてファッションと人類のほとんどにとって、あなた、ヴィヴィアンは太陽だったからです」とその想いを綴った。英国版『ヴォーグ』の編集長であるエドワード・エニンフルは、「英国ファッションの真のアイコンであり、業界におけるかけがえのない力」と表現し、彼女の死を惜しんだ。
また、歌手のボーイ・ジョージはツイッターで、「私たちをパンクとその先へと導いてくれた偉大で刺激的なヴィヴィアン・ウエストウッドに敬意を表します」と投稿し、「彼女は誰もが認める英国ファッションの女王です」と彼女の存在を称えた。
ニューヨークのヴィヴィアン・ウエストウッドのショップの前には沢山の人々から献花が添えられていた。
Oui Speak Fashion 編集部一同、心よりご冥福をお祈り申し上げます。