共同編集:株式会社ビーツ/ワールド・モード・ホールディングス株式会社
ライター:西村 幹太
今年1月に開催された世界最大級の小売業界カンファレンス「NRF リテールズ・ビッグ・ショー 2026(NRF Retail’s Big Show 2026)」。今年度は「The Next」をテーマに掲げ、拡張されたエキスポ会場、新設されたAI専用ステージ、そしてシェラトン・タイムズスクエアで初開催される物流の費用削減と利益向上に特化した併催イベント「NRF Rev」など、過去最大規模での構成がなされた。さらに、NRFの国際展開も加速しており、2027年にはサウジアラビア・リヤドで初の「リテール・ビッグ・ショー・ミドルイースト(Retail Big Show Middle East)」の開催が控えている。
この日、オープニングセッションに登壇したのは、ボブ・エディ(Bob Eddy)とエド・スタック(Ed Stack)の2名だ。エディはNRF会長であり、BJsホールセール・クラブ(BJ’s Wholesale Club, Inc.)の会長兼CEOを務める。スタックはディックス・スポーティング・グッズ(DICK’S Sporting Goods、以下ディックス)のエグゼクティブ・チェアマンである。両者の対話は、小売業界が直面する現実と、その先にある”次”の姿を浮き彫りにするものだった。
逆風の2025年、それでも成長を刻んだ業界
2025年の小売業界は、関税、政策の不確実性、供給網の逼迫、消費者の信頼感低下といった複合的な逆風にさらされた。しかし、業界全体としては成長を維持し、消費支出は底堅さを見せた。小売業は年間GDP5.3兆ドルに貢献し、米国の4人に1人以上にあたる5,500万人の雇用を支える基幹産業である。災害や食糧不安への対応として、数百万食の寄付を行った小売企業の存在も報告された。
こうした逆風を経て、2026年の業界が掲げる優先課題は明確だ。人材やテクノロジーへの継続的な投資、より迅速で直感的かつ”人間的”な顧客体験の追求、そして商品企画、デザイン、需要予測、受注処理・配送の各領域におけるAI活用の深化である。政策面では、効率的で消費者本位の事業環境を支える施策への働きかけも重点項目として挙げられた。
「自社を脅かせるか」という問い。ハウス・オブ・スポーツの誕生
ディックス(DICK’S Sporting Goods)の歴史は、1948年にニューヨーク州ビンガムトンで開業した小さな釣り具店に遡る。スタックは1984年に父から2店舗を買い取り、以来、同社を全米屈指のスポーツ用品チェーンへと成長させてきた。
約8年前、スタックは”未来の店舗”の設計に着手した。しかし、最初のデザインは「十分に異なっていない」として白紙に戻された。6年前に再設計されたコンセプトが「ハウス・オブ・スポーツ(House of Sport)」である。地域コミュニティとの結びつき、対面での接客、商品体験の3つを軸に据えた大型店舗であり、競技用フィールドやアイスホッケーリンクを備える店舗も存在する。
この構想の起点にあったのは、「もし競合が先にこのコンセプトを実現したら、ディックス自身が脅かされるほどのものを作れ」という自己破壊的な問いだった。現在、ハウス・オブ・スポーツは35店舗が稼働中であり、来年にはさらに15店舗がオープン予定。2028年までに75から100店舗への拡大が計画されている。
能力だけでは足りない。組織文化という競争優位
スタックが強調したのは、戦略や商品力以上に、組織文化の力である。ディックスの組織図はダイヤモンド型であり、頂点に位置するのは経営者ではなく、顧客(同社の表現では”アスリート”)だ。リーダーの役割は、直属の部下が必要な資源をすべて手にできる環境を整えることにある。
では、どのような人材がこの組織に適合するのか。同社は、能力は高いが協調性に欠ける人材を許容しない方針を明確にしている。社内で最も成功した50人を対象とした特性調査では、全員が強い競争心を持ちながらも、その競争意識は社外に向けられ、社内では協調に徹していることが判明した。目立たないが不可欠な貢献をした人物を表彰する「レフト・タックル・アワード(Left Tackle Award)」の存在が、この文化を端的に象徴している。
こうした協調的な風土の上に築かれるのが、対話の作法である。議論の出発点を「no, because(ノー、なぜなら)」ではなく「yes, if(イエス、もし〜なら)」とする原則が、革新と問題解決の土壌を形成しているという。
300万人の子供たちに”居場所”を届ける。スポーツ・マターズの使命
ディックス(DICK’S Sporting Goods)の経営哲学は、事業の外側にも及んでいる。2013年に正式設立されたスポーツ・マター・ファウンデーション(Sports Matter Foundation)は、子供たちがスポーツに参加できる環境を確保するための取り組みだ。
この活動の原点は、スタックの父にまつわる逸話にある。野球グローブを盗んだ子供に対し、罰するのではなく「スポーツができる環境を与える」ことを選んだ父の姿勢が、同社のDNAとして受け継がれた。スポーツが子供たちに帰属意識や指導者との出会い、学校への定着をもたらすという信念のもと、これまでに300万人以上の子供たちに参加の機会が提供されている。
フットロッカー買収が拓くグローバルと都市部への道筋
フットロッカー(Foot Locker)の買収は、ディックスにとって2つの戦略的意義を持つ。第一に、ヨーロッパ・中東・アフリカやアジアといった海外市場へのアクセスである。第二に、スペースや賃料の制約から従来型のディックス店舗では出店が難しい都市部コミュニティへのサービス展開を可能にする点だ。フットロッカーを、スポーツ用品に特化した高品質なフットウェア専門小売企業へと成長させる狙いがある。
新たに編成された経営チームには、ナイキ(Nike)、ペプシ(Pepsi)、ディックス、そしてフットロッカー出身の幹部が集結している。
AIは”人の代わり”ではなく、”人の力の拡張”
AIに対するスタックの見解は明快だ。AIは主として生産性を高めるための道具であり、人員の代替手段ではない。マーケティング、品揃えの計画、売り場での商品配置の最適化、そして売上規模の異なる各店舗への物流・補充といった複雑な課題において、AIは有効な支援手段となる。
重要なのは、この見解がAIを”効率化の道具”に矮小化しているのではなく、人間の創造性と判断を”拡張”する手段として位置づけている点である。
消費者は慎重だが、”価値ある革新”には動く
消費者は慎重さを増しているものの、明確な価値を提供する革新的な製品には支出を続けている。ここでの”価値”とは、単なる低価格を意味しない。運動時のパフォーマンスが向上する、使用感が良くなるといった、消費者が実感できる具体的な便益のことだ。
一方で、数年間変わらないまま据え置かれた製品は売れ行きが鈍化しているという。小売企業に求められているのは、消費者が次に何を必要とするかを先読みする洞察力である。
NRF 2026の開幕セッションでスタックが提示したのは、業績やテクノロジーの話に留まらない、組織文化と社会的使命を起点とした経営の在り方だった。自社を脅かすほどの店舗革新、能力よりも協調を重んじる人材観、そして次世代にスポーツを届けるという信念。小売業の”次”を問うこのカンファレンスにおいて、ディックス・スポーティング・グッズが示したのは、革新の源泉が技術ではなく、文化と人にあるという確信である。
Company Profile
株式会社ビーツ
ビーツは、スペースデザインと店舗デジタルソリューションを最適化するマーケティング企業。
クリエイティビティにデータやテクノロジーを組み合わせることで、リテールという最強の顧客接点で体験できるブランドエクスペリエンスを進化させ、生活者のリアルな感動・喜び・信頼を生み出す心地よい「共感」を創出している。
公式サイト
https://www.beeats.co.jp/
ワールド・モード・ホールディングス株式会社
ファッション・ビューティー業界を専門に、人材、デジタルマーケティング、店舗代行など多様なソリューションを提供するグループ。
iDA、BRUSH、AIAD、AIAD LAB、フォーアンビション、VISUAL MERCHANDISING STUDIO、双葉通信社の7社の国内事業会社を擁し、シンガポール、オーストラリア、台湾、ベトナム、マレーシアに海外拠点を展開。各社の専門性を掛け合わせたシナジーにより、顧客の課題に応じた実効性の高いソリューションを提供している。
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