共同編集:株式会社ビーツ/ワールド・モード・ホールディングス株式会社
ライター:柏木又浩
『AIはファッションECにおける長年の課題、「発見」の問題を本当に解決できるのか?』NRF 2026でこの根源的な問いに切り込んだセッションでは、技術を提供する側と導入するブランド側の専門家が、その巨大な可能性、乗り越えるべき現実的な課題、そして未来を巡って本質的な議論を交わした。
本稿では、登壇したAI検索プラットフォーム「デイドリーム(Daydream)」のCEOであるジュリー・ボーンスタイン(Julie Bornstein)、H&Mグループ傘下のブランド「コス(COS)」のEコマースおよびデジタルマーケティング担当上級副社長であるローレン・プライス(Lauren Price)、そしてアパレルブランド「ザディグ エ ヴォルテール(Zadig & Voltaire)」の最高経営責任者であるクリステン・ソサ(Kristen Sosa)の洞察から、オンラインファッションの次なる地平線を展望する。
1. ファッション検索の特殊性:スペックを超えた「感情」をAIはいかに理解するか
ファッションにおける「探す」という行為は、単にスペックや型番で商品を検索するのとは根本的に異なるものだ。それは、個人のアイデンティティ、その日の気分、参加するイベントの文脈といった、極めて感情的で曖昧な要素が複雑に絡み合うプロセスである。この「発見」の体験をいかに向上させるかが、オンラインファッションの顧客エンゲージメントを左右する戦略的な要諦だろう。
セッションでは、パネリスト全員がこの「ファッション検索のユニークな課題」について見解を一致させた。一般的な商品検索が仕様(スペック)の照合で完結するのに対し、ファッション検索では、感情、利用シーン、そして言葉にしにくい視覚的イメージをAIが深く理解することが求められる。
ジュリー・ボーンスタインは、この課題を象徴する具体例を挙げた。「例えば、『娘の卒業式のためのドレスを探している。袖付きで、花柄がいいけれど、ウエストがあまり締め付けられていないものがいい』といったリクエストである」。こうした検索は決して特殊な例ではない。彼女のプラットフォームでは、「大学の同窓会に着ていく服」や「バット・ミツバに行くが、子供っぽく見えないピンクのドレス」といった、文脈に深く根差した複雑な要望が日常的に見られるという。
このような自然言語による複雑な要望は、従来の「ドレス」「花柄」「長袖」といった断片的なキーワード検索では、無数の無関係な商品を提示するだけで、ユーザーを疲弊させる結果となる。しかし、文脈を理解するAI搭載システムであれば、これらのニュアンスを汲み取り、まるで優秀な販売員のように的確な商品を提案できる可能性がある。このファッション特有の複雑性こそが、AI技術にとって乗り越えるべき高いハードルであると同時に、これまでにない革新的な顧客体験を生み出す大きな機会と考えられる。
2. 消費者行動のパラドックス:高まる期待と、現実の「検索窓」の前での戸惑い
生成AI、特にChatGPTの登場以降、テクノロジーが私たちの問いに自然言語で答えてくれることへの期待は飛躍的に高まった。しかし、その期待と、実際の消費者がオンラインショッピングサイトの検索窓の前で見せる行動との間には、依然として大きなギャップが存在する。このギャップを理解することは、AIを実装する上で極めて重要だ。
ボーンスタインは、当初抱いていた楽観的な予測が、現実のデータによって覆されたことを率直に語った。彼女は当初、「ChatGPTの登場により、消費者はごく自然に、より高度で詳細なプロンプトを検索窓に打ち込むようになるだろう」と期待していた。しかし、現実は異なった。プラットフォーム上で100万件以上の検索データを分析した結果、多くのユーザーが依然として自由入力の検索ボックスを前にして何をどう入力すれば良いか分からず、苦戦しているという事実が明らかになったのである。
この発見は、デイドリームの製品戦略に大きな影響を与えた。単に高度なチャット機能を搭載するだけでは不十分だと判断し、ユーザーがインスピレーションを得たり、検索のヒントを得たりするための「インスピレーション機能」や「ガイダンス機能」を併せて開発する方針へと転換した。
同戦略転換は、最新技術を搭載するだけでなく、ユーザーがその能力を最大限に引き出せるよう、いかに導き、教育していくかというインターフェース設計の重要性を示唆する。この課題は、技術提供者だけでなく、実際にAIを自社サイトに導入しようとするブランド側にとっても、避けては通れない重要な論点でなのだ。
3. ブランド側の視点:AI導入を巡る現実的な戦略と課題
AIという強力な新技術を前に、すべてのファッションブランドが同じスタートラインに立っているわけではない。ブランドの規模、成長段階、そして戦略的優先順位によって、AIへのアプローチは大きく異なる。セッションでは、新興ブランドと、より成熟したブランド、それぞれの立場から見た現実的な戦略と直面する課題が浮き彫りになった。
3.1. 新興ブランドの挑戦:発見プラットフォームとブランド認知のジレンマ
コスのプライスは、デイドリームのようなAI発見プラットフォームが、これまでリーチできなかった潜在顧客層にブランドを知ってもらう上で大きな可能性を秘めていると評価した。しかし、彼女は同時に、AIによる「発見」だけではコンバージョンに直結しないという厳しい現実も指摘する。特にファッションのような高付加価値商材においては、インフルエンサーやプレスなどを通じた事前の「ブランド認知」がなければ、たとえAIが商品を推薦したとしても、最終的な購買には至りにくいのである。
この課題に対し、彼女はAI時代における具体的な戦術の重要性を強調した。それは、(1)AIが解釈しやすいように「カタログデータの構造化」を徹底すること、(2)「フィードプロバイダーとの連携」を通じてAIによるデータ強化を図ること、そして(3)AIの検索結果に反映される「プレスやクリエイターのコンテンツ」に注力することである。これらは、AIという新しいチャネルを最大限に活用するための地道で不可欠な取り組みである。
さらに、AI投資の効果測定(ROI)の難しさも大きな課題である。この点について、プライスは「(AI投資には)利用可能な指標を慎重に追跡しつつも、ある程度の信頼と直感が必要になります」と語り、データに基づいた意思決定が主流となる現代において、新しい領域に挑戦するブランドが直面するジレンマを的確に表現した。
3.2. 持続的成長のための投資:バックエンドの準備とデータ最適化の優先
一方、ザディグ エ ヴォルテールのソサは、より長期的な視点からAI投資を捉えている。彼女のブランドでは、目先の派手な消費者向け機能よりも、売上の健全性、損益管理、在庫の最適化といった、ビジネスの持続可能性を支える基盤への投資を最優先している。
彼女が将来のAI活用を見据えた布石として現在進めているのが、「より最適化されAIに特化したコンテンツ構造でのウェブサイトのリニューアル」だ。この目的は明確である。将来、どんなに高性能なAIという「エンジン」を導入したとしても、その性能を最大限に引き出すためには、クリーンで構造化されたデータという高品質の「燃料」が不可欠だからである。AIモデルが商品データやコンテンツを正確に解釈し、活用できる基盤を今から整えておくことこそ、将来の競争力を左右する重要な投資であると彼女の戦略は示している。
このように、ブランドの成熟度によってAIへのアプローチは異なるが、その根底には「データ」の重要性という共通した課題認識が存在する。この課題認識は、次に挙げる「AIを自社開発すべきか、外部サービスを購入すべきか」という、より具体的な技術導入の議論へと繋がっていく。
4.「自社開発か、購入か」:専門家が導き出したハイブリッドアプローチという最適解
AI技術をビジネスに導入する際、あらゆる企業が直面するのが「自社で開発すべきか(Build)、それとも外部の専門サービスを購入すべきか(Buy)」という根源的な問いだろう。この戦略的判断は、企業の技術力、リソース、そして市場の変化の速さを考慮して慎重に行う必要がある。
この疑問に対して、プライスとソサは、奇しくも同じ結論に達していた。それは、両極端な選択ではなく、双方の利点を組み合わせた「ハイブリッドアプローチ」こそが、現在の市場環境における最適解であるというものである。彼女たちの戦略は、以下の2つの領域に明確に分けられる。
社内(In-house)で担う領域:
自社の核となるデータを活用し、内部の効率化や意思決定を支援する機能である。プライスが言及したAIを活用した社内レポーティングのパイロットプロジェクトのように、データ分析やEコマースの最適化など、ビジネスの根幹に関わる知見は社内に蓄積する。
外部パートナー(Partner)に委ねる領域:
技術の進化が非常に速く、高度な専門性が求められる消費者向けのアプリケーションである。こうした領域では、最先端の技術を持つ専門企業と提携することで、迅速に高品質なサービスを導入し、市場の変化に対応する。
このハイブリッド戦略は、自社の強みであるビジネス理解とデータ活用は社内に留めつつ、専門性が高く変化の速い技術領域は外部のエキスパートに任せるという、極めて合理的かつ効果的な選択肢である。これにより、企業はリスクを分散しながら、AIの恩恵を最大限に享受することが可能となる。こうした具体的な導入戦略の議論を経て、セッションの視点は、より大きな市場全体の動向と未来予測へと移った。
5. 市場の現実と未来予測:AIの誇大広告を乗り越え、2025年以降を見据える
新しいテクノロジーが登場するたびに、私たちはその可能性に対する「誇大広告(Hype)」と、実際の普及や技術成熟度との間にある「現実(Reality)」のギャップに直面する。AIも例外ではない。長期的な視点を持ち、このギャップを冷静に見極めることが、成功への鍵である。
ボーンスタインは、現在のAI市場の状況を「短距離走ではなくマラソン」と表現した。革新的な技術に関する大きな発表が先行しがちだが、それが安定した製品として広く提供されるまでには時間がかかり、改善は年間を通じて徐々に進んでいくというのが市場の現実であると彼女は強調する。
しかし、その上でパネリストたちは、2025年以降、消費者がAIを搭載したショッピングツールを日常的に利用するようになるという点で共通の予測を示した。プライスは、この普及プロセスが過去のEコマースの普及パターンをなぞると指摘する。「(AIショッピングツールの)採用は、まず低価格で一般的なカテゴリーから始まり、その後、ファッションのような検討期間が長く、高付加価値の購入へと移行していくでしょう」と彼女は予測した。
この歴史的なアナロジーは、AIがファッション業界に本格的に浸透するまでの道のりを示唆している。そして、この来るべき未来に備えるために、ソサは改めて「バックエンドの準備やデータ構造の最適化」の重要性を訴えた。今、この地道な準備を進めておくことこそが、数年後にAIを真に活用し、競合に対する優位性を確立するための最も確実な投資である。
AIはファッションECの救世主か、それとも新たな協力者か
今回のセッションを通じて明らかになったのは、AIがオンラインファッションの「発見」が抱えるすべての課題を解決する魔法の杖ではないということである。しかし、正しく理解し、戦略的に活用すれば、これまでにない価値を生み出す強力な協力者となり得る。
本セッションから得られた重要な結論は、以下の3つのポイントに集約される。
ポイント1:技術と感性の融合
AIは単なるデータ処理ツールではなく、ファッション特有の感情的、文脈的なニュアンスを理解する協力者として進化する必要がある。スペックだけでなく、ユーザーの「気分」や「シーン」に寄り添う能力こそが、真の価値を生み出す。
ポイント2:協調的エコシステムの重要性
最高の顧客体験は、技術提供者とブランドとの緊密な連携によってのみ実現する。デイドリームのボーンスタインが計画する、検索データやクリック率の洞察をブランドと共有するための「データパイプライン」構築のように、双方がデータを共有し課題を理解し合う協調関係なくして、本質的なイノベーションは生まれない。
ポイント3:焦らず、しかし着実に
AIを巡る誇大広告に惑わされることなく、まずは自社の足元であるデータ基盤の整備と顧客理解の深化を固めることが不可欠である。長期的な視点を持ち、マラソンを走るように着実にAI導入に向けた準備を進める企業こそが、未来の勝者である。
結論として、AIはオンラインファッションの発見を単純に「修正(fix)」する万能薬ではない。むしろ、消費者とブランド双方にとって、より豊かで、パーソナルなショッピング体験を共に創造していくための、パワフルな触媒である。そのポテンシャルを最大限に引き出すための旅は、まだ始まったばかりである。
Company Profile
株式会社ビーツ
ビーツは、スペースデザインと店舗デジタルソリューションを最適化するマーケティング企業。
クリエイティビティにデータやテクノロジーを組み合わせることで、リテールという最強の顧客接点で体験できるブランドエクスペリエンスを進化させ、生活者のリアルな感動・喜び・信頼を生み出す心地よい「共感」を創出している。
公式サイト
https://www.beeats.co.jp/
ワールド・モード・ホールディングス株式会社
ファッション・ビューティー業界を専門に、人材、デジタルマーケティング、店舗代行など多様なソリューションを提供するグループ。
iDA、BRUSH、AIAD、AIAD LAB、フォーアンビション、VISUAL MERCHANDISING STUDIO、双葉通信社の7社の国内事業会社を擁し、シンガポール、オーストラリア、台湾、ベトナム、マレーシアの5カ国に海外拠点を展開。各社の専門性を掛け合わせたシナジーにより、顧客の課題に応じた実効性の高いソリューションを提供している。
公式サイト
https://worldmode.com/jp/
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