7月7日(現地時間)、フランス発のクチュールメゾン「ステファン ローラン(Stéphane Rolland)は、2026-27年秋冬オートクチュールコレクション「Dalida, De l’Orient à Paris(ダリダ、オリエントからパリへ)」を、パリのオランピア劇場で発表した。
全33ルックで構成された今季のコレクションは、若きイオランダ・ジリョッティが、のちに世界的歌手となるダリダ(Dalida)へと変わっていった伝説の舞台へのオマージュである。メゾンが描くダリダは、記憶の中に固定されたアイコンではない。オリエントとパリ、脆さと強さ、メランコリーと光のあいだに立ち続け、感情を普遍的な言語へと変えた、現代の想像力の中に生きる女性である。
この物語を雄弁に語ったのは、服だけではなかった。血のように深い緋色のカーテンに縁取られた暗いステージをモデルたちが進み、ハニー・ファラハト(Hany Farahat)指揮のオーケストラが、レオ・フェレ(Léo Ferré)、ミシェル・ルグラン(Michel Legrand)、ジャック・ブレル(Jacques Brel)の楽曲を奏でる。頭上のスクリーンには、コールで縁取られたダリダの巨大な瞳が映し出され、観客を静かに見つめていた。
ローランに劇場性が欠けたことは一度もないが、今季は劇場性こそが主題だった。
Summary
- 7月7日、ダリダの伝説が生まれたパリのオランピア劇場で発表。ハニー・ファラハト指揮のオーケストラが生演奏
- 33のシルエットで、偉大なパフォーマーが持つ「強さと繊細さのあいだの稀有な緊張」を翻訳
- 「まだ書かれていないページ」のように白が支配。クレープ、ガザール、シフォン、オーガンザ、サテンがケープ、ロングパレオ、ズアーブパンツ、トラペーズラインに
- アゲート、クリスタル、ダイヤモンド、マザーオブパール、ポーセリンの刺繍は「単なる装飾ではなく、感情の破片」として
- 深い赤、漆黒、銀の閃きがレシタルのように高まり、フィナーレでは中東のスター、ウマイマ・タレブがブレルと「Helwa Ya Baladi」を熱唱
オランピア、さなぎが蝶になった場所
メゾンのプレスノートは、ダリダ誕生の物語をひとつの創世神話のように語る。ある日の午後、リュシアン・モリス(Lucien Morisse)、ブリュノ・コカトリックス(Bruno Coquatrix)、エディ・バルクレー(Eddie Barclay)の3人が偶然に導かれるようにオランピアへ足を運び、まだ無名だった若い歌声に耳を傾けた。その出会いが、フランスのポピュラー音楽史を大きく動かすことになる。
「イオランダがダリダになったのは、ここだった」とメゾンは記す。
観客を同じ劇場、同じ赤いベルベットの前に座らせることで、ステファン ロラーンは、ダリダの歌声と自身のクチュールを隔てる時間を一気に折りたたんでみせた。そこにあったのは、単なる回顧ではない。ある声、ある姿勢、ある感情の残響を、現代のクチュールとして再び立ち上げる試みである。
コレクションは、デザイナー自身の言葉を借りれば「レシタルの章立て」のように進行する。オープニングには、ほとんど絶対的な光の中から現れるような白のシルエットが並んだ。細身のパンツに重ねられたアイボリーのケープ、ページがめくれるように折り重なるハイネックのコラムドレス、ゴールドの刺繍を散らした彫刻的なトラペーズコート。いずれも、光へ向かって進むような垂直性を帯びている。
それは、マイクへと歩み寄る歌い手の所作にも似ていた。

Courtesy of Stéphane Rolland


白 — まだ書かれていないページのように
「白は、まだ書かれていないページのようにコレクションを支配する」とステファン ローランは記す。
今季の白は、無垢や清廉さだけを意味していない。そこには、記憶が書き込まれる前の余白、あるいは感情が立ち上がる直前の沈黙がある。クレープ、ガザール、シフォン、オーガンザ、サテンは、空気と光と動きに反応しながら、ほとんど非物質的な風景を形づくった。
幾重にも重ねたオーガンザの「波」のドレスは、出現と消失のあいだを漂うように揺れ、ストラップレスのビュスチエは、白いオーストリッチフェザーの雲へと弾ける。ドレスは輪郭を持ちながら、同時に気配へとほどけていく。ここにあるのは、重さを感じさせないクチュールの彫刻性である。
タイトルに掲げられた「オリエント」は、装飾的な引用ではなく、構造そのものに織り込まれていた。ズアーブパンツ、胸元から流れるロングパレオ、キモノスリーブのガウン、そして終盤に登場する白と黒のガザールによる堂々たるビシュトコート。地中海、東方、フランス、イタリアの影響が交差するコスモポリタンなカイロの記憶を、ステファン ロラーンはコスチューム化することなく、シルエットの中に静かに響かせている。
その手つきは、オマージュという形式に必要な距離感と品位を保っていた。


感情の破片としての刺繍
刺繍は、今季のもうひとつの語り手である。
アゲート、クリスタル、ダイヤモンド、マザーオブパール、ポーセリン、そして貴石。メゾンはそれらを、単なる装飾ではなく「感情の破片」として用いた。ひとつひとつの輝きは、宙に留まる音符のように、音楽が止んだあとも余韻を残す。
グレージュのベルベットマクラメのロングコートでは、刺繍が堆積した時間のように見える。白いクレープのコラムドレスでは、袖から銀の枝が霜のように伸び、身体の動きに合わせて静かに光を放つ。それは今季のなかでも、とりわけ鮮烈なイメージのひとつだった。
クリスタルで縁取られた切り込みを持つ白いクレープのアジュレ仕立てのロングドレスは、彫刻的でありながら、身体の存在を決して遠ざけない。むしろ、伸ばした音が歌い手の呼吸を露わにするように、肌と空間のあいだに緊張を生み出していた。
「さらけ出されていながら、同時に無敵である」という偉大なパフォーマーについてのステファン ローランの言葉は、そのまま今季のデザインコードとして反映された。


赤、黒、銀 — 高まるレシタル
コレクションは、歌のように強度を増していく。ただし、その高まりは決して過剰に流れない。あくまでも抑制を保ちながら、感情の密度だけが深まっていく。
唯一の深紅のルックは、ひとつの転調のように現れた。ロッククリスタルを刺繍した赤い「オランピア」ベルベットのチュニックとトラペーズスカートに、アイボリーのシャンタンによるロングキモノコートを重ねたルックである。その赤は、劇場のカーテンそのものを思わせる。舞台と服、記憶と身体が、ここでひとつに重なった。
黒は、白いクレープの上に重ねられたグラン・ド・プードルのバックレスタキシードジャケットとして、ジョンキルダイヤモンドを刺繍したスーツとして、そして終盤には、黒いシルクガザールの荘厳なジャンプスーツとビシュトとして登場する。パリのフォーマリティに、カイロのシルエットが影を落とす瞬間である。
羽毛もまた、感情のクレッシェンドを担っていた。白いガウンの裾を覆う黒いオーストリッチフェザー、拍手が可視化されたかのように波打つ白いガザールのラッフル。グランドなクチュールでありながら、それは決して空虚なスペクタクルにはならない。ダリダが服を「ステータスの記号ではなく、感情の延長」として理解していたというメゾンの視点が、各ルックに貫かれていたからである。




時を超える声
フィナーレでは、オマージュが最も明確なかたちをとった。チュニジア出身の歌手ウマイマ・タレブが、クリスタルを刺繍したバックレスの白いクレープガウンをまとい、オーケストラとともにジャック・ブレルの「Quand on n’a que l’amour(愛しかないとき)」と、エジプトの国民的歌曲「Helwa Ya Baladi」を歌い上げた。
ダリダの巨大な瞳が見守るなか、東と西、遺産と現代性、個人的な記憶と集合的な感情が、ひとつの声の中で交差する。コレクションの主題が、語られるのではなく、歌われた瞬間だった。
「このコレクションで私は、ひとつの時代を再現しようとしているのではない。ひとつの感覚を取り戻そうとしているのだ」と、ステファン ローランは記している。
たったひとりで舞台に立ち、言葉を超えた強度で空間を満たすアーティストの感覚。その尺度において、今季のコレクションは見事に成功していた。
「時を生き抜く美へ。決して尽きることのない感情へ。女性へ、アーティストへ、光へ。ダリダへ。」
スペクタクルが競い合うオートクチュールウィークにおいて、ステファン ローランが差し出したもの。それは、完璧な仕立てをまとった一通のラブレターであり、時を超えて響き続けるひとつの声への、深く誠実な献辞であった。



ステファン ローラン2026-27年秋冬オートクチュールコレクションの全ルックは、以下のギャラリーから。
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